子どもの喧嘩にかかわること
子ども同士の喧嘩を丸く収めるのは至難の業です(笑)
大人のような分別がないので感情同士のぶつかりあい。
そんな時一体自分は何をするのがいいのだろう。
自分なりに考えたこと書いてます。
私が子育てを始めてから長年悩んできたことがあります。
それは、「子どものけんかにどのように関わるか」ということです。
うちの子も男三兄弟でよくけんかをします。
私の目の前で子どもたちがけんかを始めたとき
私の取れる行動として以下のようなものが挙げられます。
1)「やめなさい!」と言って割って入る
2)けんかをしていても、見えていないふりをする
3)けんかの様子をじっと見つめ、手や口は出さない
その時々の私の信条によりどの方法もとってきましたが
私が今採用しているのは3)番です。
3)に至るまでには相当悩みました。
子どもの気持ちを考えながら仲裁の方法をさぐった
育児本を読むと
1)は論外であると書いてあります。
子ども同士で解決することによって社会性が育つのに
親が割って入るとそれが中断される。
子どもは割り切れない思いや持っていき場のない怒りを経験しながら
他者の気持ちに思いを馳せられるようになるとのことでした。
私もそれは納得できました。
それまでやっていた1)を即不採用にしました。
では、子どものけんかに基本的に親は入らない
というスタンスは、2)と3)のどちらの姿勢のことなのでしょうか?
私はそれが分からず長いこと思い悩みました。
2)については、こう考えました。
子どもたちは、自分たちがけんかをしている声が聞こえるのに
それをお母さんがそっぽを向いて見ていないとしたら
それは自分たちに関心がなく無視していると思うかもしれない。
3)については、こう考えました。
子どもたちは、自分たちがけんかをしているのに
お母さんがその様子をじっと見ているだけだったら
たとえば殴られている子は「どうして助けてくれないの」と思うのではないか。
また、たとえば暴力を振るっている子は
「今、こいつをたたいたけど、お母さんは怒りに来なかった。
じゃあ、叩くのは悪いことじゃないんだ」と
私の態度を「暴力を肯定している態度」だと受け取るかもしれないと思いました。
喧嘩を再勃発させないよう見守る
でも、3)をやってみると、次のようなことが分かりました。
子どもは、叩かれてもそれが嫌じゃないときがあります。
先に自分が怒りを買うようなひどいことを言ってしまった
などの自覚がある時です。
自分でも叩かれてもしょうがないと思っていたりします。
そういう時は、わざわざ入って行って「叩いちゃだめじゃない!」
とやらなくても大丈夫です。
かえって、叩いた方の子が「だって・・・」と反発心をあおられたり
丸く収まりかけていたものが再勃発したりします。
じっと見ていると
理不尽な仕打ちを受けた子はほぼ100%こちらに訴えてきます。
その時初めて、「どうした?」と介入してあげればいいんだと思います。
介入と言っても、大岡越前のように裁きを下す必要はありません。
それぞれの言い分を聞いてあげるだけで十分です。
それ以上のことはしない方がいいと私は思います。
話を聞いているうちに仲直りすることもある
叩いた理由を言っているうちに自分の中で筋道が整ってきて
何だか怒って叩いてしまったけど、おれが悪かったかな?
という考えに至って突然「ごめんね」と相手に謝り出したこともあって
聞いていた私は驚きました。
私も腹が立つことが日々たくさんありますが
そんなとき人に「ああでね、こうでね」と話しているうちに
「私も悪い所あったな」とか
「こんなに怒ることじゃなかったかも」
など気持ちが落ち着いてくることがあるので、よく分かります。
もう、「叩いちゃだめだよ」とかは今まで散々言ってきたので
暴力は悪いこと、というのは自分でも分かっているはずです。
あとは、自分の気持ちを見つめる機会を作ってあげて
自分の良心に照らして欲しいと私は願っています。
ただ・・・
私も人の子なので、こういう理屈が私の中で完成しているにも関わらず
お兄ちゃんが下の子を殴る蹴るしているのを目の当たりにすると
ついかっとなって理由なんか聞いていられるか!
「やめなさーい!!」とやってしまう時があります(汗)
「子どものけんかを見守る」というのは、とても難しいことですね。